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まみあな部屋

バイク関係の戯言集です。
最初に与えられた幼児用の自転車は初日から補助輪は外しました。 
5歳の時でした。

気が付いたらバイクを与えられていて、バイクに乗れてました。
ペダルにやっと足が届くように成った、4年生頃でした。
小学生の間に3回無免許で捕まりました。
交番を避けながも、毎日のように乗ってましたから、3回で済んだのは奇跡です。

父が呼び出され、引き取りに来ましたが、実は父も免許は有りません!
家にバイクも車も有りましたが、何故か免許を持った者は居ませんでした。
それでも、免許を持っている叔父より、父の方が運転は上手でした。
  徒然なるまま、いとおかしき出来事など思い浮かべ綴るなり
     もう時効だよね!

・・・すり抜け・・・
札樽道はこの頃はまだ一車線で、よく渋滞していた。
といっても東京の様なビクとも動かないのとは違って、動いたり、
止まったりの、のろのろ渋滞である。
普通のバイクはその横を80〜100k位の低速で慎重にすりヌケルわけだが、
稀にとろいバイクも居る。そういう方には車列に入ってもらうか、
路肩に避けて頂く。
車も、何故か左によって走っている者が、たまに居るが、
大概はバイクに気づいて無いだけなので難なく右側を抜ければ済む。
我々バイカーはすり抜けの時は、いつドアが開くか、窓から子供が顔を出すか、
犬が飛び出すか、バットが出てくるか分からないので、
何時でも止まれるようにと気を遣っている。
処がこの日は、バイクが近づくと道を塞ぐ意味不明の車が居た。
案の定、右を回ろうとすると、右による。意識的な意地悪だ。
大体が最初に寄ってきた時も、ブレーキに手を掛けていてギリギリの状態、
80キロの低速でだって、事故って死ぬやつは死ぬ。
ちょっとカチンときた私は、右に回り対向車が途切れたタイミングに、
アレッ何でこんな所にタイヤレバーが?
タンクにガムテープでとめてあった得物でドアミラーに制裁、天誅!
後は対向車線を一目散!


・・・白いバイク・・・
R23号・名四国道、極悪非道がまかり通っている怖い道です。
黄色信号でブレーキに手を掛けようものなら、後ろの大型トラックが、
けたたましいホーンと共に迫ってくる。
この辺のバイクも中々度胸が良い。
私はこの時FZR1000、仕掛けられればお相手を辞退はしなかった。
遊んで欲しいという250ガンマに付き合い、数分のバトル、
信号待ちしてる時に参加してきたもう一台の白いバイク、
VFRになにやら赤いランプが付いている。
青信号となるや勢いよく飛び出したガンマ君にピタッと付いていく白いバイク、
中々サイレンを鳴らさない。
あれは大量得点だな!私は、知らない道だったけれど、
とりあえず試合放棄して、すぐ左折!その後やはり道に迷ったけどね!


・・・バイク便・・・
バイク便さんにはそれなりのプライドがあるらしい。
私がGS750Eに乗っていた頃、
都内を走る時はもっぱらバイク便さんを利用していた。
これが結構楽なのだが中には後ろに付かれるのを嫌ったり、付いて来れるかと、
飛ばしだす人もいる。
その日のVT250さんは後者だった様で、しきりに振り切ろうとしている事明白、
でも750のトルクはVTについて行くの位は楽勝、
こちらは一文字ハンドルで車幅詰めてるし、バイク便さんは箱付けてるし、
すり抜け条件は互角。
そして彼は段々と意地になってきて、
スピードを上げるは狭いところへ入っていくはで、
私が、無理してないかな?大丈夫かな?と思った矢先、
そこは通れないだろうと見える隙間に、吸い込まれて行く!
彼はバスとガードレールに挟まって止まった。


・・・8000円也・・・
最高に楽しんだ想い出。
FZR1000の最高速は時々確かめて見たりしてたけど、
果たして200キロオーバーでの能力がどんな物かとは思っていた。
東京からの帰り道、東北道を北上、川口を出てすぐ、R750が絡んできた。
暫くお付き合いしたが、どうも彼は220キロ以上は出ないらしい。
そこへベンツとBMWとプジョーが絡み合いながらやって来た。
おそらくアクセルべた踏みバトルであろう彼らのスピードは
250キロを超えていた。
もうすっかり目が慣れていた私は、そちらに乗り換え、
R750はじりじりとミラーから消えていった。
そう長い時間ではなかったが、車とのバトルで高速走行を満喫した私は
パーキングで休もうと、スピードを落し流していると、
遥か後方にR750のライトが追いついて来るでは有りませんか、
それもパンダを連れて。
パンダは私がスピードを落している事に気づいて慌てて測定したのでしょう、
14キロオーバー、納得のいかない私は少しごねたのですが、
R750の彼はラッキーとすぐ切符を受け取り、
私は、パーキングまでスピードを落さなければ良かったと思いながらも、
サーキット代と思えばと、8000円払う事にしました。


・・・200キロオーバーの世界・・・
200キロオーバーといえば1日の最高走行距離を走った、山口〜八戸間の時。
バイクはZX-10。山口のインターから中国道をひた走り、
最高速もそこで確かめた。メーター280キロ、
カタログデータの270キロは出るようだ。
200オーバーで走ると距離感が変わってくる、あっという間に兵庫だ。
遥か前方に赤灯が、近づくとローレルの覆面にバイクが捕まってる。
くわばらくわばら


まみあな亭はゴールド免許の品行方正な熟年バイカーです。くれぐれも誤解の無い様に!
GS750で東名を走っていた時。

車を追い越し中に突如突風、タンクバックが宙に舞った!
交通量の多い東名、追い越し車線から左によるのも一苦労、
バイクを止めれたのはかなり先。
青いタンクバックが辛うじて中央分離帯の側にあるのが発見できた。
バイクを止めて走って取りに行くのだが、皮つなぎ・ヘルメットの男が
高速の中を走っている様!
あ〜恥ずかしい!
しかも中々道路を渡れない、通り過ぎる車は皆見て行く!
磁石式のタンクバックはカウル付じゃないとね!


40代はこんな筈ではないと、未だ頑張っていた。
50代に成るとさすがに、諦めの境地になる。
そう、自分の体力と能力の事だ。
バイクに乗るのに力は必要無い!が、持論だったから、
50キロにも満たない体重で750を操り周りから不思議がられたものだ。
しかし、50歳を過ぎると力の問題だけではない。
色々と都合の悪い事が出てくる。
ZX-10でニセコパノラマラインを攻めに行ったのだが、
朝から体調が良くなかった。少し寒いのもあった。
体が固まっていたのだろう、運動不足もある。
一時停止で足を出したとたん攣ってしまった。
慌てて飛び降り倒れ込むバイクを支えようとしたが、
時既に遅し押さえ切れないところまで傾いていた。
足が攣ったせいも有るが一人で中々起こせない。
じたばたしている所へさっき抜いてきたオフ車のお兄さんがやってきて
手伝ってくれた。
あ〜なんて恥ずかしい事か。